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アキラの「教えて!LGBTのこと」第3回~レイちゃん、粗い?荒井?アライ?~

  • イチガヤアキラ
  • 2016年1月15日
  • 読了時間: 4分

アキラ: レイちゃん。ごめんね。

レイ: えええええ、急にどうしたの!?!!

アキラ: なんかさ、いつもLGBTについていろいろ聞いてるじゃん?「レイちゃんは女の子が好きなの?」とか。そういうのって、冷静に考えるとすごく失礼なことなんじゃないかと思って。。

レイ: いや、まあ、私とアキラの仲だからね〜。私個人は嫌じゃないよ、むしろ興味持っていろいろ聞いてくれるのは嬉しい! ただ、初対面とかそんなに仲良くない状態で突然質問責めにされたら、嫌な人もいるかもしれないねー。

アキラ: だよね。気をつけなきゃだね。

レイ: うーん、まあ、そのあたりの感じ方は人によりけりだと思うんだけど、やっぱり、相手と普通に「人と人との関係性」をちゃんと作ってから聞くことは大事だよね。アキラだって異性愛の知り合いに突然「どんなタイプが好きなの?」とか聞かないでしょ?

アキラ: たしかに。合コンの時くらいしか聞かない笑

でも、好奇心だけで聞いてるわけじゃなくて、力になりたいというか、理解したいという気持ちではあるんだけど(><)

レイ: 一応、LGBT当事者ではないけれどLGBTを支援したいと思っている人のことを、「アライ」と言ったりもするみたい。

アキラ: へー、そういう言葉もあるんだね!どういう字?荒井?粗い?

レイ: いやいやいや、「アライ(Ally)」は、「同盟者、協力者、支持者」を意味する英単語だよ。そこから、LGBTの同盟者、協力者、支持者を指すようになったの。

アキラ: あ、なるほど笑 どういうことをしてれば、「アライ」になれるの?パレードに参加したり?

レイ: 何をしたら、とかはないよ。LGBT当事者を支援する気持ちがあったらみんな「アライ」、というのがこの言葉の用法みたい。

ただね、「アライ」って言葉はさ、「LGBT当事者」と「非LGBT当事者」がいるっていう二分法に則ったものじゃない? だから、人によっては、「これは『LGBT』と『それ以外』という二項対立を深める言葉になりかねない」みたいにこの言葉に懸念を抱く人もいるっぽい。

アキラ: 言葉一つで賛否両論あるんだね(^^;)でも、「アライ」という言葉を使う使わないは別として、当事者を理解したいという気持ちは良いことだよね!

レイ: 多分、「アライ」って言葉が嫌いな人は、「当事者を理解したい」っていう言葉も嫌いかもしれないけども…。

アキラ: まじか。どうすりゃいいんだ。でも、あれじゃん?

「娘が彼女を連れてきた」とか「男友達がゲイだった」とかって、今まで異性しか好きになったことがなくて、周囲にもそういう人はいないと思ってたら、衝撃的なことだと思うんだよね。そういう場合には、まず「理解する」のが一番だと思うんだけどな~。「理解」というより「受け入れる」に近いかもしれないけど。

レイ: そっか〜。衝撃的なことなのか〜。もう私はそのあたりの感覚狂ってるからよくわかんないんだけどさ、なんてーの、多分「当事者」って誰なのかって話なんだよね。

「LGBT」もさ、言ってしまえば便宜上分けられたカテゴリーに過ぎないわけじゃん? それに当てはまらなくても、限りなくたくさん、多様な性のあり方はありうるわけで。そんななかで、「LGBT当事者」を「理解」するとか「受け入れる」って言われちゃうと、なんか突然すげー特別扱いされた特殊な一部カテゴリーの人たちを、「普通」の人たちが「許容」します、みたいに聞こえちゃう時があるってことだと思う。

アキラ: なるほど。「許容」ってつもりはないし、「普通」「特殊」で分けてるつもりもないんだけど。。ただ、生きやすくなるためのお手伝いができたらいいなと思ってて。現に結婚の制度とか無知な人たちの言動とかに傷つくこともあるみたいだし。

LGBTという理由だけでストレスを感じてたり困ってたりするなら、それをなくしていきたいなと。そのためには、まずは「理解」から始めていくことになるのかなーっと思った。何がストレスなのか困っているのか。まぁ、「理解されるってのがストレス」と言われると、難しくなっちゃうけどorz

レイ: うん、そういうスタンスなら、多分誰も傷つかない気がする〜。ただ、そこまで気持ちを伝えるのって難しそうだよね。

だから、「LGBTを理解したい・支援したい!」みたいな人と、いわゆるところの「当事者」とは、しばしばすれ違いがちなのかなあ。ちょっと寂しいよね。

アキラ: やっぱ、そういうすれ違いもあるんだね。ちゃんとお互いの思いとか考え直した方がいいこととかを話していくことが大事なのかな~

レイ: そうだねー。「当事者」と「非当事者」というよりも、「人」と「人」として話し合ったり意見交換できたりしたらいいのかもしれないね〜。どんな人だって、ちょっとずつ意見も感じ方も違うはずだからね!

★アキラ的まとめ★

思いのほか激論になってしまいました笑 でも、大事なことだからね!

「性はグラデーション」のコラムでも少し書いたように、「自分と同じ/違う」にとらわれないことが、大切なことなんじゃないかな?「当事者」「アライ」とかじゃなくて、「もしかしたら友達が困ってるかもしれない」というのを、行動の指針にしていくと上手くいく気がする。

難しくて繊細なことだから、今後も考えていこう。

 
 
 

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